大洗海岸6月潮遊び前編|「海と踊る」日記(金澤 真里)

6月25日この日の大洗海岸は朝凪と、深い霧を纏っていた。白く煙る霧の水滴は一粒一粒が目視できるほどであった。


髪も肌も纏わりつく霧でじっとりと濡れ、愛着の3ミリのウェットスーツは梅雨時期の蒸し暑さと初めて磯に潜る緊張と重なり合い、スーツの中は蒸し風呂状態。頭のてっぺんから足首まで汗だくでのぼせ上がっていた。

霧の水滴は体中の汗と混ざり、ぽたぽたと足元の礫へ滴り落ちる。

目の前の岩礁に聳える神秘的な鳥居も、飛び立つ白鷺のようにどこまでも白い霧に覆われ朧であった。


真っ白な空間は全てが無く、そして全てが在る。風の囁きも波の戯れもない朝凪は、時間という概念を超え時空の狭間にいるかのような錯覚に導いていた。


ごろりと転がる砂の固まってできた砂岩や、粒子の細かい泥が固まってできたシルト岩、花崗岩など大小様々な色や形の礫を踏みしめ波打ち際へと、一歩ずつ足を進めゆく。


じゃり、じゃり、じゃり・・・四本の足音しか耳に入らない。


ざざん、ざざん、ざざん・・・波打ち際に近づけば近づくほど、さざ波の音色は遠退き聞こえなくなってくる。


一瞬、海へ入る覚悟を問われ恐怖心という強烈なグレー色の稲妻がバリッと体中を駆け巡る。

それでも、大洗海岸の神磯の海を知りたいという思いを恐怖の波が超えることはなかった。

この日は一年で二番目に潮差が大きい大潮。5月6月は一年を通して見て潮差が大きい季節になる。

大きく潮が引いた波打ち際は、普段見ることのできない一枚岩のテーブルに緑色のアナアオサの草原が広がっていた。アナアオサの体は細胞が二層の薄いビニール袋のようにカサカサとした手触りで膜状をしている。直径20~30センチほど横に広がり膜に穴が開くのでこの名がついたという。アオサが大量繁殖すると緑潮(グリーンタイド)となる。その原因のひとつは海水の富栄養化にもあるという。



アナアオサの草原を越え、潮が大きく引き海から突き出た岩礁群はまるで王蟲の群れ。

百の目でこちらをじっと監視しているように感じた。

岩礁の顔色を伺いながら恐る恐る静寂の海へ体を沈める。

手足の筋肉がこわばり、呼吸は浅く荒くなる。ハアハアと肩で短く呼吸をする音とぽちゃんぽちゃんと静まり冷たい海面を叩く音が耳に入り込んでくる。


足がつかない深さまで泳ぎ進むと私の背を超える、1.5メートルから2メートルほど成長したアラメが目視できる範囲一面の海を黒味を帯びた茶色の体で覆い隠す。荒波にも負けない屈強な根を岩礁の凸凹に膠を流し込んだかのようにがっちりと根を張り、潮間帯下部から漸深帯にかけて真っ黒に数え切れないほど生息していた。


その姿形は、地上の森が海中に映し出された鏡の中のような海中林の世界が広がっていた。

茎から二又に分かれた大きな「はたき」状の肉厚の葉が私の手足、胴へ絡みついてくる。恐怖から更に体が硬くなり、五百円玉ほどの太さのアラメの茎にしがみつき抵抗するとアラメは意識があるかのように輪をかけて体を締め上げてくる。


「あなたに海の子供たちを見せることができるか?」


試され、審査を受けるかのように。

海の偉大さに触れ、私がいかに無力で小さいかを知り涙し、心が海底へ落ちたその時、体の力は緩み抜け落ちた。不思議なことに波と一体になり体に絡む無数のアラメもするりとその手を解放してくれた。


私は同行者に涙を覚られないよう海面にぷかりと体を浮かせ漂い、静かに銀色の空を見上げた。



著者|金澤 真里(ビーチクリーンボランティア「海と踊る」主宰)


登録者|金澤 真里(ONCA)