大洗海岸の暮鳥詩碑|大洗歴史漫歩(大久保 景明)

 大洗ゴルフ場入口からちょっと海岸に下った所に、山村暮鳥の詩碑が建っています。高さ1m51cm、巾91cmのみかげ石造りです。

 暮鳥は明治17年に群馬県群馬町で生れ、晩年大洗町に住み、大正13年41歳でなくなられました。

 暮鳥には詩集「3人処女」を始め「聖三稜波璃」「風は草木にささやいた」から「雲」「月夜の牡丹」等沢山の詩集がありますが、この碑の詩は晩年の詩集「雲」の中から、詩人の萩原朔太郎が撰び、書は画聖小川芋錢がかいたものです。


雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すっかり途方にくれてゐるのだ

あまりにあまりにひろすぎる

涯のない蒼空なので

おう老子よ

こんなときだ

ひょっこりとでてきませんか


 この詩は詩集「雲」では「ある時」という題になっています。この詩集では二つ前の作品に「雲」と題して「丘の上で、としよりと、こどもと、うっとりと雲を、ながめている。」とあって、その次に「おなじく」と題して有名な、「おおい雲よ、ゆうゆうと、馬鹿にのんきそうじゃないか、どこまでゆくんだ、ずっと磐城平の方までゆくんか。」の作品がありますが、詩碑の詩の題には「おなじく」としないで「ある時」としてあります。碑の詩を私達俗に「雲」の詩と言ってますが、或はこの詩は別な感慨からよまれたものではないか、などという気もいたします。しかし大正13年6月の俳誌「層雲」には、この詩は「雲について」となっています。

 この「層雲」の中に「春の日」という詩があります。この詩は詩集「雲」にもおさめられていますが、当時、芋錢は「春の日」をこの碑に刻するよう強く主張しました。「芋錢子文翰全集」の柳橋好雄氏宛書簡を見ると、


おいそっと
そっと
しづかに

うめの

にほひだ


 「此の詩は怒涛の膨湃たる大洗を背景として立てる、暮鳥詩碑として此の詩を歓こび居りたるもの恐らく小生一人のみに無之と存じ候。此の碑を大洗の海岸に立つる時は、其処にロダンの神作たるユーゴーの像を想起すべく候。静かにしづかにと潮鳴りに両の巨手を差延べたる雄姿を梅の匂と化したる其神秘、即ち老子もニコニコとして雲の姿を現すべく候」とあります。

 さて、どちらの詩がこの地にふさわしかったのでしょうか。・・・・・・・

 この碑の工費は356円でした。暮鳥と親しかった詩人や、地元の人々、それに暮鳥の多くのファン達141名の寄附によって建てられたものですが、詩人大関五郎はその除幕式の日、周辺の風致をこう書いています。

 「浪の音静かに、はてしなき空から流れてくる爽かな風が、緑したたる松原の松の花粉をこぼしている常陸磯浜子ノ日ヶ原の5月1日(昭和2年)

 丘には、たんぽぽがほほけて飛び、浜えんどうがいぢらしい花をつけている。それらとりどりの雑草にかこまれて、どっしりと海の方を向いてゐる詩碑」と

 今でも詩碑の周辺や、大洗ゴルフ場内の片すみなどにこんな風韻はのこっています。

1983秋 地図⑩


山村暮鳥



山村暮鳥の住家 明神町鬼坊うら別荘



暮鳥の詩碑に腰掛けた小川芋銭 この碑の字は芋銭が書いた 昭和22年




出典|大洗歴史漫歩、2002(平成14)年5月18日発行

著者・発行者|大久保 景明

印刷・製本|凸版印刷株式会社


登録者|田山 久子(ONCA)