「ボオドレェルの詩碑」(エトランジェと暮鳥と)|大洗歴史漫歩(大久保 景明)

 フランスの詩人ボオドレェル(1821~1867)の詩碑が大洗神社の真下、大洗美術館入口の路傍に建っています。碑にはボオドレェルの散文詩「エトランジェ」が原文で刻されています。

 日本近代詩の黎明期にボオドレェルの詩は日本詩壇に大きな影響をあたえました。

 明治初期に短歌や俳句、漢詩以外の新しい詩の概念が初めて日本詩の世界に入ってきて、5.7音形式の、あの新体詩が生れましたが、以来西欧詩発展の動向を急速に吸収しようとする気運が高まった時代でした。

 日本で初めてボオドレェルの詩を訳し紹介したのは、わが国へ象徴詩を導入した上田敏で、明治30年5月のことです。続いて永井荷風、蒲原有明等があります。

 山村暮鳥(1884~1924)が「ボオドレェル詩集」を初めて手にしたのは明治43年春で、スタームという人の英訳版でした。

 これを読んで彼は、ボオドレェルの「照応の詩法、音と色と香の交感の詩法、あるいは感覚と形象を言語化する詩法」など、その怪奇な新鮮さに感動し傾倒して、これを訳詩しました。

 暮鳥は明治43年6月に、初訳「エトランジェ」を「旅人」として発表したのを始めとし以後大正2年9月までに、ボオドレェルの小散文詩」18篇を訳し発表しました。

 そしてそれが暮鳥自体の詩体をも変革させて「聖三稜玻璃」の詩体を成立させました。

 暮鳥の訳詩はいろいろ批判もありましたが、詩人のするどい感受性で、敏感にボオドレェルの心をつかんだすぐれた訳ともいわれています。暮鳥はエトランジェの訳を何回も書き改めて、始めは「旅人」と訳しましたが、最終的には「変り者」と訳出しました。


「もし、君ENIGMATICMAN、君の最愛なるものは誰だ。
 父か、母か、姉妹か、それとも兄弟か。」
「わたしには父も母も姉妹も兄弟もありません。」

「そんなら友達か。」

「それは、わたしには何の意味もないことでした。その言葉は。」

「では国家。」

「わたしはそれがあるといふ所の広袤(こうほう)さへ知らないのです。」

「美は。」

「おお女神、不死なるもの、それならよろこんで自分にも愛せるはづであった。」

「或は黄金。」

「わたしはそれが嫌ひです、譬へば君が君の神様に対するやうに。」

「それならEXTRAORDINARYSTRANGER何を君は愛するのか。」

「わたしはあの雲を愛します・・・・・・空をさまよって行く雲を、彼方へ・・・・・・あの驚くべき雲の群れを。」

 暮鳥最後の詩集「雲」は大正13年12月、大洗海岸の自宅でなくなる直前に校了しました。大洗での4年間は、妻子三人を養いながら療養を続ける貧しい生活の中で、精神的には充実した日々をおくり、所謂「虚淡時代」の多くの詩を残しました。大洗海岸に建っている暮鳥の詩碑の詩はこの「雲」の中から萩原朔太郎が選びました。


  雲もまた自分のやうだ
  自分のやうに
  すっかり途方にくれているのだ
  あまりにあまりにひろすぎる
  涯のない蒼空なので
  おお老子よ
  こんなときだ
  にこにことして
  ひょっこりとでてきませんか


 涯のない蒼空の下で途方にくれている暮鳥と「エトランジェ」の人間実存の空しさから非情の雲に憧れるボオドレェルと、その詩魂は一脈相い通ずるものが感じられます。

 朔太郎晩年の散文詩集に雲をよんだ「虚無の歌」があります。


私は孤獨の椅子を探して、都会の街々を放浪して来た。そして最後に求めているものを知った。一杯の冷たい麥酒と、雲を見ている自由な時間!。


 エトランジェの心の雲が、暮鳥の雲にそして朔太郎の雲に流れているのでしょうか。

 ボオドレェルの詩碑は、大洗暮鳥の会の会長の榎本英輔氏が、暮鳥とボオドレェルの接点を明らかにして、暮鳥の顕彰をはかると共に、日仏の文化交流に資するため自費を投じて建立したものです。当初は暮鳥の詩碑のわきに建てる予定でしたが、付近一帯は県有地で県の許可が得られなかったので、暮鳥詩碑から100m位はなれた自宅敷地に建てられたものです。

 碑中の「エトランジェ」は原文のフランス語で、東京日仏学院長で詩人のジャン・ペロル氏が書いたものです。

 又その下に「仏文碑建立旨意書」が刻まれていますが、これは元相模女子大学教授で暮鳥を深く研究されている関川佐木夫氏が撰され、榎本英輔氏が書かれたものです。

 碑は昭和63年9月に建立されましたが、旨意書にあるように、ボオドレェル作詩以来125年、暮鳥訳出後80年、芋銭が書いた大洗の暮鳥碑建立後60年にあたるそうです。

 暮鳥の雲の碑と、このボオドレェルの仏文碑が相い照応して、詩碑の雲が永く不滅の詩光を放ち続けることでしょう。


1992秋 地図⑥

本書についてもくじ


出典|大洗歴史漫歩、2002(平成14)年5月18日発行

著者・発行者|大久保 景明

印刷・製本|凸版印刷株式会社


登録者|田山 久子(ONCA)